小説「葡萄が目にしみる」
を読んで
ー自意識過剰な青春の記憶ー

誰にも覚えがあるだろう。
学生時代の淡くてほろ苦い思い出。
笑えるほど自意識過剰なあの頃を、

ブドウの甘酸っぱさのように
思い出させる青春小説が心に突き刺さる。

私は林真理子氏の小説
「葡萄が目にしみる」を読むたびに、
切なくて「愛と憎しみ」を実感する。

「直木賞」候補にまで挙がったこの小説を読みながら多感な青春時代を振り返る。

男子からどう見られているか?
独りぼっちではないか?
笑われてないか?

常に人の視線が気になっていたあの頃、
この小説に出てくる主人公「のりこ」の気持ちが手に取るように分かる。

そう、自分がぱっとしない普通の子だって分かっている。

だからこそ少しでも
自分を良く見せたい
気持ちでいっぱいだった。

目次

あらすじと見解

葡萄づくりの町に住む、地方出身の「のりこ」は、都会に憧れるごくごく普通の女の子。

平凡であることを自覚しながらも、多感な少女にありがちな美少女に対する「嫉妬」や先輩への「初恋」を体験しながら、自意識過剰な行動と共に青春を過ごす。

のりこが一目置く男子生徒「岩永健男」は、ラグビーで引く手あまたの有名人であり、先生をも黙らせるほどの傲慢な態度をとる人物。

そんな健男に真正面から立ち向かう気強さも持ち合わせる「のりこ」はとても正直である。

私は「のりこ」のように正直だったか?
「負けたくない」という気持ちを
行動に移せていたか?

自分にはできなかった「のりこ」の勇気と決断を応援したくなる。

負けん気から、地元の誰もが入学できる女子高ではなく、共学の進学校を選択した時から「のりこ」の人生はわずかながらも好転していく。

後に将来を約束されたエリートな人生を歩む同級生「岩永健男」と、東京の大学を卒業後メディアに自分の居場所を見つけた「のりこ」の人生は、接点がないまま年月が経つが、ある日ひょんなことから出会うこととなる。

そこから何かが始まるわけでも、恋愛関係になるわけではないけれど、「のりこ」は「健男」との再会に涙した。

東京である意味成功している「のりこ」が歩んだ道はこれからも果てしなく挑戦する日々、そして成功した「岩永健男」の人生もこの先は分からない。

ただ、少なからず「のりこ」の心を動かすきっかけとなった「岩永健男」の成功と安泰を心から願える位置に「のりこ」は到達できたのだろう。
「のりこ」は決して負け組ではなく、
自分の向上心でのし上がっている。

平凡であっても、地方出身であっても
自分で選択することで道は開かれる。

私の青春時代には決してなかったことだけに、
心に染みる。

今も昔も変わらない女子の無邪気さと残酷さ

女子力

残酷なカースト制度

今でいうと「マウントをとる」。

昔から何も変わらない女子同士の残酷さ。

一瞬にして自分とその子とどちらが勝っているか?比べている。

外見は当たり前で、服装がおしゃれであるか、バックはブランドか?

最新の持ち物など、外的要素はもちろん、学力、社交性など比べる要素はたくさんあり、
会話しながら、いや一目でその勝負は決まる。

女子である限り若くてもおばさんでも同じだ。

学校という決まった枠の中で、外見+要素は重要視され、自然とカーストは出来上がる。

なぜか似たり寄ったりの友達と瞬時に連盟を組み、共に行動するが、その子のすべてを受け入れているわけでもなく、むしろ苦手な場合も多い。

だけど、それを口にすることはなく、ひたすら我慢するのだ。1人ぼっちになる勇気はない。

クラスに何人かは一匹オオカミもいたはず。
今思うと、馴れ合いでグループを組む子たちより自立した強い子だったのだと思う。

平凡な子の憂鬱と一軍への憧れ

自分がカーストのどの位置にいるか、悲しいかな自己評価は概ね当たっている。

可愛い子は自分が「可愛い」って分かっているし、そうでない子も自分の事は一番本人が分かっている。

だけどジタバタはしたい。

第三者から見ると明らかに違うだろう勘違いを堂々とできるのが青春時代。

相手の笑顔は自分への好意と解釈し妄想を膨らませる。

自分がクラスのどの位置にいるか?
それは学生時代はとても大事である。

可愛くて偏差値も高くスポーツもできる女子はトップに位置し男子とも仲が良い。

その位置に憧れながら、嫉妬心を抱きながらも、自分と同じか、もしくは下の友達をお互いに求めていつのまにかグループができるのが女子の形態である。

好きとキライは紙一重

学生時代にありがちな交友関係。
何となく出来たグループの中で、本当は友達が苦手な事に気付いている。

だけどその気持ちを押し込めて過ごすのだ。

「のりこ」が親しくしていた友達「菊代」の事を大人になって実は大嫌いだったと再会した「岩永健男」と共に話す場面がある。

有名人の健男と仲良しアピールをしてきた菊代を実はキライだったとは、菊代には悪いけどありがちな話だと納得した。

親しくしているようで、内心はどう思っているか?なんて本人にしか分からない。

大人になった今は、それが大人の対応で、本心なんかさらけ出したら世の中はうまくいかないのだと思う。

あの子と仲良くしていたけど、ホントは我慢していたなんてことはよくあることかもしれない。
青春時代だけではなく、それは大人になっても同じではないか?

相手のすべてに納得できることはあり得ない。
趣味は合うけど、男に媚び売る感じがどうも許せない。

だけど仲良くはしている

こんな関係にうんざりしながらも、
とりあえずは続けてはいく。

年を重ねた今、残りの人生にかけて、自分に正直に生きていこうとは思っている。

人生の転機ーある人との出会い

自分人生において、「負けたくない」と思って頑張ったことはなかった気がする。

自分に影響を与えた人もいなかった。
だから自分の未来(現在進行中)も大したことはなかった。

「のりこ」もそんな子だったのに、
「やさしさ」や「意地悪さ」複雑な感情を沸かせる「岩永健男」との出会いにより、
自分を奮い立たせ、生き方を変えることができた。

人との出会いは自分の人生をも変える。
ここまで、何もない人生だけど。

色々なことに興味を示し、困難を面白く受け止めるような生き方を望んでいるこの頃。

素敵な出会いをまだ期待している・・・

 まとめ

目線はどこにでもいる都会への憧れを持つ地方の少女。

主人公「のりこ」の好きとキライを正直に描く。

第三者から見ると、明らかな勘違いを、
見事な自信過剰な思い込みで少女たちの恋話は展開する。

時代は一昔前の話で、今の子たちにはピンとこなくても、
「嫉妬」「憧れ」「羨望」「あきらめ」
の気持はいつの時代も変わらない。

大人になっても同じこと。
ただ、態度に出さないだけで
愛と憎しみ」の感情はおばさんでも多いに持っている。

それは人が人である限り永遠なのだ。

自分の青春時代を思い出させ、さらに納得させ、今も昔も変わらないと実感できる

小説「葡萄が目にしみる」

は私の大好きな本である。

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この記事を書いた人

扶養サレ妻の歩く日常を綴ります

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