共依存とは、特定の相手との関係に
依存しすぎるコミュニケーション依存を指す。
知らず知らずのうちに陥る共依存の関係は
もしかして「自分も当てはまるかも」
と思うほど身近な行動の先にあるもの。
自分の存在価値を人から頼られることで
確かめるのは普通に感じるけど、
共依存の判断は境界線にある。
仲良しすぎたり、好きすぎたり、
支配しすぎたり、人として当然の感情が
一線を越えると異常になる。
あらゆる環境や人間関係で
共依存の関係にならないように、
自己肯定感を高めて、健康的な人間関係を
作らなければならない。
共依存とは
「共依存」という言葉は、
アルコール依存症の家庭問題から
アメリカで生まれた言葉である。
依存症は関係性の病であり
多くの人を巻き込んでいく。
共依存が問題視されるのは、
背景にあらゆる精神疾患や
人間関係上に問題があるから。
共依存になる要因はすでに自身にあり、
過去に経験したことや、育った環境が
影響する。
恋愛編
恋愛における共依存では、
一方が相手の世話を焼き、
一方はその世話に甘えている状態。
世話をやくのが当たり前、
甘えるのも当たり前、
お互いが思い込むことで
共依存が成り立つ。
この人は私がいないと
何もできないの
その関係が悪いのではなく、
問題は、世話をやく行為に
自分の存在価値を求め過ぎること。
相手は自分の意志より
相手の意志を優先させない
といけないと強制的に
感じていることが問題となる。
助けてくれてありがたいし、
行為を無下にできないな・・
親子編
親子の関係はそもそも対等で始まらないから、
親が子供を支配したまま、成長してしまう
怖さがある。
「自分が面倒を見なければこの子は
何もできない」
この感情は、子供が幼い頃だと
当然の心理だけに、子どもが成長しても
親が子離れできないと大きくなってからも
子供の行動に口出し、過保護なまま
大人になる。
自立のタイミングを計れなかった子供は、
あらゆる場面での決断を背負うことが
できないため、社会に出てからも
困難を強いられる。
モンスターペアレント
主に学校や先生に対して
理不尽な要求をしてくる親。
自分の子供優先の対応を求める身勝手さは、
もはや子供のためというより、親自身のため。
子供のことを一番に考えていないのに、
親はそのことに気付けない。
ヘリコプターペアレント
子供が辛い思いをしないように
先回りをしたり、親が過剰に手助けして
しまう行動。
どちらも親は子供に過剰に依存している。
共依存に発達する要因はすでに
親から子供に植え付けられる。
このような環境で育つ子供は
親から自立できない状況に
取り残される。
厄介なのは親も子も互いに
自覚がないということである。
医療編
医療職や介護職などで患者さんを
援助することが自分自身の存在意義に
なってしまい、患者の自立を阻害する
行動をとってしまうこと。
仕事でも家庭でも、人と人の関係性に
距離感は大事ということ。
そして感情移入をしてはいけない。
愛情があるからこそ始まってしまう、
私でなければという気持ちの強さが
共依存へ繋がる。
ミュンヒハウゼン症候群
ミュンヒハウゼン症候群は、
他人の評価で自分の価値を確かめる部分が
共依存と重なる。
子どもに薬物等を飲ませたり、
親が子どもに手を加えて身体不調や
病的状態を作り出し、病気の症状
として訴える行動。
自分が怪我や病気であると偽り、
周りの人の気を引いたり同情を買うことで
精神的に満たそうとする行動も
自己肯定感の低さからきている。
注目されることでしか、
自己肯定感を高められない。
そのためなら、自分の子供を
病気のままにして、かいがいしく
世話をする自分が必要なのだ。
もはや悲劇としか言いようがない。
共依存におちいる原因
共依存の人の多くは一般的な家庭環境にあらず。
過保護が要因の一方で
虐待との関連もあるとされている。
親からの愛を感じられず育った人、
自分の望みや意見などを受け入れて
もらえなかった子供は、大人になってからも
他人と良好な関係を結ぶことが難しい。
愛情不足のまま育ち大人になると、
人と関わる時に不安になる。
どうしていいか分からないから
何か不満があっても、相手を優先する。
そして最終的には人に尽くすことでしか
自分自身を見出せなくなるパターン。
共依存になりやすいタイプ
自己肯定感が高い人の背景には
自分が育った環境が影響する。
愛情で満たされて育ったり、
押し付けのない比較的自由な環境が、
自分の存在価値を認めることになる。
自己肯定感が低い人は
逆の環境で育つため、
自分の存在価値を他人に求めていしまう。
人の世話を焼いたり、
アドバイスするのが好きな人。
人を助ける行為を自分の存在価値と思う。
行為自体はとても喜ばしいことで、
受ける側も助かる。
人に良い事をして、そういう自分を誇りに思うことは悪い事ではない。
相手にとって本当に適切なのか
自己満足であっても、適切かどうかが問題になる。
自分の思い通りになる友達って、
ありがたい。
行く先も食べたいものも合わせてくれて、
愚痴を言ったら聞いてくれる。
ネガティブな発言をしても
寄り添ってくれて、責めたりしない。
都合が良い関係は支配だから、
友達関係ではないのかもしれない。
実際、支配関係にある友達って
多いかもしれない。
何かないと不安という気持ちは、
小さい頃に連れまわすお気に入りの
ぬいぐるみに現れている。
寝る時に必要な毛布、母親の髪の毛を
触りながら寝るとか、
小さい子供にはよくある話だけど、
それが大人になって対象が変わっただけで
依存できる人を探し続けているのかもしれない。
自分の気持ちを素直に出すことができる人はそういないのかもしれない。
相手を思う気持ちがあるからこそ
言いたいことも我慢する。
我慢すればスムーズにいくことを覚えると自分の気持ちを表現する習慣がなくなり、
相手の意のままに行動してしまう傾向。
その立ち位置が心地よくもある。
共依存からの離脱
共依存関係にある人は、自分たちの関係性を
共依存と自覚するのは難しい。
また、他人から見ても
共依存と判断はできない。
- 「親との関係がうまくいかないのは
どうしてだろう」 - 「夫婦関係がつらい」
- 「彼氏や彼女としっくりいかない」
何かしらの関係性に不満があれば、
その悩みの背景に隠れている
「共依存」は見える。
しかし、関係性が上手くいっていれば、
それが共依存の関係であれ、
心地よいのであれば
誰も何も言う必要はないのかもしれない。
ただ片方が苦痛に感じる場合は、
やはり治療が必要になる。
親子であれば、
離れて暮らす、
干渉しない、自立する
恋愛であれば、
別れる
別れる選択ができないのなら、
関係性の見直しが必要だけど、
「自分がいなければ相手が生きていけない」
など、極端な感情や思い込みを捨てるのは
簡単でないため、別れる、離れる行動が
一番の得策だといえる。
まとめ
何となく「お願いしても断らないどろうな」
とか「自分の話を無条件を聞いてくれる」
人は、都合が良い。
間違っていることでも、
「分かるよ」と寄り添い、
「それは間違っているよ」と
絶対言わない友達に違和感を感じる。
非常に勝手な話だけど、
やはり、悪い事は悪いと
言ってほしい部分はあるし、
全てを受け止めるのも何だか気持ち悪い。
共依存にならずに健康的な関係を作る方法は、
自分自身にあり、
自己肯定感をあげることだ。
親との関わりや育った環境により
作り出された人格は、共依存に
陥りやすい人とそうでない人と
はっきりと分かれる。
本人たちは、その関係が危険だとは
気づかないし、周囲からも分かりにくい。
その関係が上手くいっていればなおさらで、
周りの人が異常だと思い注意したところで
その関係は共依存だよ
相手にされない。
だってうまくいっているのだから。
今は共依存することで、
良い関係性が生まれているとしても
長くは続かない。
そして気付いた時には
抜け出せない自分がいる。
客観的に見れば直ぐわかることでも
本人たちには分からないもの。
人と人との距離感は難しい。
人は一人では生きられないと思うけど、
適度な距離感を意識することで、
共依存になる確率が下がる。
どんなに好きな人でも、
何かをしてあげたくても、
喜んでくれたとしても、
自分自身を大事にしていない関係は破綻する。
改めて自分の人間関係を見つめてみよう。
不安な要素が見つかったなら、
ひとまず距離を置いて、
自分のための生活を考えよう。
自己肯定感が上がり、縛られていた関係を
客観的に見れる日がくるから。
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