扶養される妻の断捨離から生まれる新たな道

私は夫に扶養され、パートで働く
アラフィフの「ルミエル」。

大きな傘の元、静かに過ごしているつもりだ。
社会保険適用拡大により、勤務時間が激変している。

収入は減るが、時間に余裕ができ、自分自身を見直すきっかけとはなっている。

そして、これまで当たり前だった事に
疑問を抱くようになる。

そもそも扶養されるってどうなの?

自分の足で生活できていない半端者。
だって誰も私の周りに教えてくれる人は居なかった。
「自分で働いて生活できる力をつけなさい」
そう一言いってくれてら?変わったのだろうか・・・

そもそも、そういう風に育てられていない気がする。
そういう時代だったのかも?と思うけれど、同じ年のいとこは保健師となり自立している。
我が家の問題であるようだ。母のせいにはしたくないけれど、結婚して子供が生まれたら仕事を辞めて、夫に扶養されるのは普通の事だと育たられた気がする。

私はこの年になるまで、第3号被保険者の恩恵に預かりながら、
不思議とも思わず生活してきた。
だから、離婚もできない。

熟年離婚したら路上生活もなきにしもあらず?
依存するから我慢すること多いよね。

妄想は暴走し、さらには段ボールを手に、
彷徨う未来を想像する。

極端だけど、可能性はゼロではない。
自分の足で立ってない感が身に染みる。

まずい、最悪だ・・・
今更ながら気付いてしまった。

もっと早く気付きたかったけど・・・
教えてくれる人は、私の周りに誰もいなかった。

目次

時代の流れがそうさせた

私が高3で、進路を決める時の選択肢は、大学ではなく短大一択だった。
昭和が終わりかけのあの頃、私に将来なりたい職業や夢はなかった。

「一人娘だし高卒もなんだから、取り敢えず短大ぐらいに進学しておこう」
と言う親の安易な提案に1ミリも疑わず従った。

高校は田舎の中では進学校だったので、大学に行く子もたくさんいたが、
身近には短大希望の友達がたくさんいたし、そういう時代だった。

嫁入り道具の学歴と堂々と言ってた時代。
下から数えたほうが早い成績で、都会や一人暮らしの憧れもない、
ぼ~っとした子だったので、迷うことなく親の言う通りにした。

時代錯誤の常識を私は自分自身で植え付けたのだった。

断捨離で自分自身を見つめなす

物を捨てる

家族4人分の衣類を、季節の変わり目にクリアケースから出しては入れを繰り返す作業にうんざりしていた。
何年も着ない服をいつの日か出番があると、捨てずにケースに戻す作業は毎年行われる。

いい加減気付いてはいたが、長く捨てられずにいたものをついに処分した。
不燃物、可燃物、その他もろもろ、しばらくゴミ出し日は大変だったが、スッキリ片付いた部屋を見て、後悔はなかった。

固定観念を捨てる

物と同時に、自分の慣れ親しんだ思考も捨ててやった。

×専業主婦、もしくは、扶養内パートがベスト
×夫に養ってもらう

自分のスタイルを「変える」ことは年齢を重ねると難しいことではあるが、
これがびっくりするくらい心が軽くなり、捨てたスペースには新しい思考が出来上がる。

〇扶養を抜け、社会保険を付けて働く
〇夫に依存せず、生きる道を模索する
(熟年離婚を望んでるわけではない)

とはいえ、社会保険を付けたくても会社が折半してくれるかは、年齢もあるし可能性は低い。
扶養から抜けて働くには、最低でも150万/年は稼がないと扶養内の恩恵と同等な生活スタイルは維持できない。

「家のことは妻の仕事」という古い価値観しかない面々の世話をしながらでは、自分の負担が増えるだけ。
私はますます熟考した。

多忙は思考停止に落ちいる

日々忙しい毎日を送っていると、思考が停止する。

仕事→家事🧺→仕事→家事🛒
この繰り返しの日常で、身体も脳内も疲弊する。

新しい情報や、人の意見も受け付けない状況。

余計なことは考えたくない、
だって疲れているから。
私は長年、この状況を過ごしてきた。

家の掃除が行き届いてないことや、自分自身がやさぐれていることには気付けるが、今いる環境を変えようとは思わないのだ。

忙しいのは金銭的には良い事だけど、度が過ぎると考えることをしなくなる。
今はそれどころではない、選択の余地がない時こそ、自分に余裕を与え考える必要があるのだけれど。

クラウドワークスへの登録

自宅でできる副業、そして書くことが好きな私がピンときたものは

「クラウドワークス」

業務委託の仕事をネット上で発注。受注することができるサイト。

日記は長年書いてきたし、
楽天ブログも経験がある(笑)

書くことを仕事にできるって、カッコイイ💛
浮足立った私はすぐさま登録、仕事を探した。


そして自分の甘さを思い知るには
そう時間はかからなかった。

出される課題さえ、いや出される課題の意味さえ分からず、浅はかな自分を後悔した。

スキルの無さを痛感したけど、
あきらめはしなかった。

この頃の私は、やる気に満ちていたし、
ただ暇だったともいえる。

文章力や経験を得るためにブログ開設が浮かんだ。

自己投資で道を切り開く

マネー講座へ参加

暇になってゆとりができた代わりに、
収入は減る。

今できること、固定費の見直し、保険の見直し、少しでもお金を増やす方法を考えて、
出来ることは行動に移した。

  • 公共料金の口座引き落とし→
    カード決済
  • マイナンバー登録→
    マイナポイントゲット
  • 医療費控除
  • ふるさと納税

iDeCoや積立ニーサも考えた。

iDeCoは夫が始めないと、
控除のメリットがない。

しかし本人は面倒だという理由で、iDeCoに関心はなく、なぜかソニー生命の積立保険に加入した。

そんな夫に言いたいことはたくさんあったが、
全て飲み込んだ。

価値観が違う人へ何を言っても無駄だからだ。

もやもやした気持ちを払拭しようと、
「マネー講座」へ参加した。

ここで学んだことは、you tubeやネットで得られるありきたりの情報ではあったけど、お金の価値が年々減少する危機感を改めて実感することができた。

投資はリスクがあるけど、
投資でお金を増やすことが必要な時代。

何もしなければ現状維持ではなく、
何もしないと資産は減るこれからの時代。

リスクを恐れて行動しない時ではない。

お金も、未来も、自分の生き方も、
投資は必要なんだ。

行動に移す時がきた。

ブログ開設に必要だったもの

・ノートパソコン

・コノハウイング

・ワードプレス

・有料テーマSWELL

・折れない心

扶養サレ妻の身分ではお高い出費だった。
ブログは自分をさらけ出す部分もあるので、家族にはあまり見られたくない。

自宅のPCは古いし、デスクトップだし、
夫が権限を持っている。

そんなPCで、こそこそブログを始めるわけにもいかず、購入は必須だった。
ブログを書くだけなら高いスペックは必要ないのに、私はなぜかゲーミングPCを探していた。

老後の楽しみとして、ゲーマーになりたいという願望はあるのだが、今はその時ではない。

結局、購入したものは、軽めのゲーム🎮ができるスペックを積んだPC。
何かを始める時、情報は必須で学ぶ事はたくさんある。

PCを購入するだけでも、まあまあの時間を費やした。

知らない言葉を一つ一つぐぐりながら、知識を身に着けつことが単純に楽しかった。
最終的に選んだマウスコンピューターの決め手は、アフターフォローの充実である。

夫の力を借りずに自分で初期設定をするつもりなので、24時間対応のサポートは心強かった。

ブロガーの意見を集約して、ブログ開設に投資、スタートした。

マウス無しのPCに振り回されながら、Windows11も曖昧なままのブログ開設は、
困難を極めた。

幸か不幸か、迷っても取り敢えずクリックする
大胆さを持つ私は、後悔の連続。

それでも挑戦することは、この年齢では無謀だけど価値もある。
楽しまなければ意味がない」精神で何とか乗り切ろうとしていた。

新しい道を歩こう

長い間、同じ環境にいると今の自分が正しいかどうか分からなくなる。家事、育児、仕事に追われる毎日ではなおさら。
そんな時、無理にでも休んで、自分に問いかける時間が必要ではないか。

カチコチに固まった価値観や頑固な自分、優しくなれない理由を見つけて、何がそうさせているのかを考えることで道が開けるはず。
少し先の自分を想像して未来の自分のために今できること、始めることを見つける。

早ければ早いほど良いけれど、人生は長いし、
ボチボチでも構わない。

私は夫に扶養されない未来を想像して自分で歩く道を構築中。

ブログを綴り、勉強してクラウドワークスで仕事を受けられる日が来るために、
webライターを目指す。
またwebデザイナーの勉強も考えている。

学ぶ事が楽しい今、記憶力は衰える一方だけど、自分のペースで、楽しみながら、
日々成長したい。

そこからの景色を妄想しながら
私は今日も歩いていこう。


よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

扶養サレ妻の歩く日常を綴ります

コメント

コメントする

目次